私は、昨日の夕方、父方の祖父祖母の眠るお墓にお参りに行きました。

皆さんは行かれましたか?ちょこちょこ行ければいいのですが普段はなかなか行けないのが現実です。

 さて、私の母方の祖母の話を少し……。昨年の暮れに亡くなってしまいましたが昨年の今頃、腎不全や脳梗塞で入院する事になったのです。病院での治療により一命を取り留めたのですが、ほぼ寝たきりになってしまいました。入院がずっと出来ればいいのですが色々な決まりがあって退院しなければならなくなってしまったのです。自宅介護です。しかし自宅には車椅子もなければ介護ベッドもない。買うにもお金がかかるし、借りるのにも数に限りがある。そんな中やっと借りられ、自宅介護が始まったのです。

 そこで数か月ですが介護を受けていたのですが、昨年亡くなってしまいました。

その時に私が思った事ですが母達は介護ベッドや車椅子を手配するのにすごく苦労していた事が頭から離れず、もっと行政で貸し出す事が出来たならいいのにと思ったのです。             

きっと今までも力を入れているはずですがすぐにニーズに答えられないのが現実です。

その財源をどうするかが問題です。私の取り組みに議員定数削減があります。そうです、議員さんを減らし一人一人が頑張りその財源でもっともっと車椅子や介護ベッドを増やしていけばいいのです。これからまだまだお年寄りが増えます。その中で私は、少しづつですが色々な対応を考えていきたいのです。これは、まだ小さな事かもしれませんが、私のやりたい事の一つです。

 お彼岸ですので、少し調べてみました。よろしかったら見て下さい。その時に少し自分のご先祖様の事を調べるのも楽しいかも!?また両親や人生の先輩の話とか聞くのもいいものですよ。

参考までにお彼岸について

 お彼岸は春分の日と秋分の日を中日(ちゅうにち)とし、前後の三日を合わせた七日間をいいます。お彼岸の初日を「彼岸の入り」といい、最終日を「彼岸明け」といいます。

仏教で「彼岸」とは向こう岸に渡るという意味です。迷いのこの世(此岸(しがん))から、川の向こうの悟りの世界に渡るために教えを守り、行いを慎むのが本来の彼岸の意味です。

 現在、彼岸の日には家族そろってお墓参りをするのが習慣となっています。お墓参りに特別の作法はありません。墓石えおきれいに洗い、周りも掃除して花や線香を供えます。手桶から水をすくい、墓石の上からかけて合掌礼拝します。

家庭では仏壇を彼岸には「ぼたもち」、秋のお彼岸には「おはぎ」を仏壇に供えます。「ぼたもち」も「お掃除し、花や季節の果物、ぼたもち、おはぎ等を供え、故人や先祖の供養をします。春のおはぎ」もどちらも米と餡でつくった同じものですが、牡丹と萩という季節の花に由来して名前がつけられたようです。

 彼岸の意味

彼岸という言葉は、古代インド語のパーラミター(波羅蜜多)が語源で、「彼の岸へ至る」という意味です。煩脳や迷いに満ちたこの世を「此岸」というのに対し、悟りの世界・仏の世界を「彼岸」といいます。

悟りの世界に至るために、仏教には六波羅蜜の教えというのがあります。

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